金山奉行所は、開発と同時に置かれたと思われる。全盛期には金山奉行のほか山奉行、町奉行、物奉行の役も置かれ、鹿児島から赴任の50名、地元役人約150名が、御座の周辺やそれぞれの部署毎の建物で勤務していた。
江戸末期産金量の減少に伴い役所機構も縮小された。ここはその頃の奉行所跡で、金山奉行、物奉行、書役などが執務していた場所である。
ふれあい交流館(御座所跡) → 金山奉行所跡 → 山先役宅跡 → とじ山抗 → 自稼堀坑
© 公益社団法人 霧島市シルバー人材センター All Right Reserved.