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TOP  鹿児島神宮周辺コース  鹿児島神宮周辺コース④(約11km 自動車1時間半) ‐鹿児島神宮‐

 鹿児島神宮 かごしまじんぐう 

 鹿児島神宮は大隅・薩摩随一の大社である。当神社の御祭神は「日子穂穂出見命‐ひこほほでみのみこと‐」(山幸彦)で、580歳の長寿を数えた。
山の幸や海の幸の恵み、五穀豊穣を始めとして、開運、厄除け、良縁、出産など、あらゆることにご利益があるとされ、地域の人々の厚い信仰を受けている。

TOP  鹿児島神宮周辺コース  鹿児島神宮周辺コース④(約11km 自動車1時間半) ‐日秀神社‐

 日秀神社 にっしゅうじんじゃ 


 補陀落渡海の行で沖縄の福花に辿り着いた時、若い女性の生肝を常食としていた大蛇を、呪文により洞窟に閉じ込めたという言い伝えのある日秀上人は、この地でも偉大な力を発揮。病気や怪我の治療、植物の病害虫防除など困苦の人々を救済し、神様と崇められた。また、焼失した正八幡宮(鹿児島神宮)の再建に際して屋久島に用材を求めた時のこと。正八幡宮と刻印した材が荒天で流されてしまったが、それが浜之市に流れ着いた。人々は上人の神通力と感嘆した。なお、十八日の馬(初午祭)は上人の見た夢に由来するとも言われている。
 上人は、九州制覇を目指す島津氏の豊後の大友氏らへの戦勝を祈願するために入定する。死に向かっての読経の神通力が通じたのか、島津家はこの戦いに勝つのである。

TOP  鹿児島神宮周辺コース  鹿児島神宮周辺コース④(約11km 自動車1時間半) ‐空順石室‐

 空順石室 くうじゅんせきしつ 

 空順上人は、徳川の中期、時の藩主島津吉貴公の信望厚い高徳のほまれ高い僧であった。
 当時大火に見舞われ続けた阿久根で火留めの祈祷をし、以来40年間阿久根では火災が発生することがなかったり、日照りの時に雨を降らせたりするなど、お祈りにより数々の奇跡を起こした。

TOP  鹿児島神宮周辺コース  鹿児島神宮周辺コース④(約11km 自動車1時間半) ‐隼人塚‐

 隼人塚 はやとづか 

 祟りを恐れて霊を慰める行為は、太古の昔からあったと思われる。しかし、我が国の歴史に残る最古のものは隼人族の慰霊だろう。
 祟りの激しさでよく知られている菅原道真の霊を鎮めるために北野天満宮が創建されたのは西暦947年で、その慰霊行為の歴史は約1100年である。これに対して、隼人族の慰霊の歴史は約1300年である。
 この地に対する大和朝廷の一方的な支配に対する隼人の抵抗は激しく、それだけに敗れた後の無念さは大かったのだろう。その怨念の激しさに朝廷側は恐れおののいたという。

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 蛭児神社 ひるこじんじゃ 

 日本の神様は初め、自然派生的に成られた。神聖なまぐわいにより子を産むようになったのは、男神のイザナギ、女神のイザナミからである。
 この二神のまぐわいによる最初の子がヒルコである。ヒルコは生まれた時から腰が立たず、親神は、憐れみながら「天磐楠舟」に乗せ流した。たどり着いたところが奈毛木の森である。
 ヒルコノミコトは地域の人々を慈み、守る神として、蛭児神社に祭られ崇められている。

TOP  鹿児島神宮周辺コース  鹿児島神宮周辺コース④(約11km 自動車1時間半) ‐石躰神社‐

 石躰神社 しゃくたいじんじゃ 

 神様にとっても、子供の誕生は大事なことである。
日子穂穂手見命(山幸彦)と海神の娘豊玉姫は、結ばれてこの地を住居としていた。ところが急に豊玉姫が産気づいたため、命は急いで鵜の羽を集めて産屋を造ろうとしたが、産屋が完成しないうちに鵜草葺不合尊が産まれてしまった。とてもお産が軽かったのである。
 昔からお産は女性にとって命がけのものである。出来るだけ軽くすむようにと、みんなが祈る。石躰神社は、お産の軽かった豊玉姫にあやかった安産の神様として信仰を集めている。

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 鹿児島神宮 かごしまじんぐう 

 鹿児島神宮は大隅・薩摩随一の大社である。当神社の御祭神は「日子穂穂出見命‐ひこほほでみのみこと‐」(山幸彦)で、580歳の長寿を数えた。
山の幸や海の幸の恵み、五穀豊穣を始めとして、開運、厄除け、良縁、出産など、あらゆることにご利益があるとされ、地域の人々の厚い信仰を受けている。